いまは昔ほどゴールを喜ぶ気にはなれないんだ
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『Number(ナンバー)1042号[雑誌]』を読んで気になった部分を引用します。
ゴールに喜びはするものの、すべてを忘れ歓喜に酔いしれるような姿は見られない
サッカーでゴールが決まってもVARで判定が覆される可能性があるため、簡単に喜べなくなってしまったことを嘆いています:
アトレティコ・マドリーのルイス・スアレスが嘆いていた。
「いまは昔ほどゴールを喜ぶ気に離れないんだ。ゴールを決めたあの喜びも、アドレナリンも、疑念とともにどこかへ行ってしまう」
スタンドのファンも同じだ。ここ数年、欧州のスタジアムで熱気の低下を感じるようになった。かつてそこにあった、ネットが揺れた瞬間にスタジアムを包んだ歓喜も、怒号も、嘆きの声もグレードダウンした。
先日、アトレティコの本拠地で試合を見て改めてそれを実感した。かつては欧州でも有数の熱量で包まれていたが、随分とおとなしい。現在のチームの調子やコロナ渦による影響もあるだろう。しかしファンの表情を見ていても、ゴールに喜びはするものの、すべてを忘れ歓喜に酔いしれるような姿は見られない。
理由は、時間がかかりすぎる判定だ。VAR導入により判定の制度は保証されるようになったが、最終的な判定を下すまでに時間を要す。スアレスが言うように、選手はゴールを決めても昔のように感情を100%爆発させることができない。延々と続く判定待ちの間、喜び続けるわけにもいかないからだ。
オフサイドか否か、究極のライン際に生きるストライカーにとっては大問題だ。かつてはゴール後に副審の旗が上がるかどうかだけを見ていればよかったが、今では旗が上がらなくとも撤回される可能性がある。