あなたが努力していることは必ず誰かが見ている。だから、手を抜かないでみんなでいい映画をつくろう

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高倉健インタヴューズ』を読んで気になった部分を抜粋してみました。

八甲田山の撮影について:

あの時は芝居なんて考えられなかった。雪のなかで立ってるだけでやっとの演技で、まるでドキュメンタリーを撮ってたようなもんだよ。ただ、まわりの俳優さんは「高倉健が我慢しているんだから」と何も言わないでやってたところもあるよね。今になって思えば僕が代表して「こんなことはできません」と言えばよかったのかもしれないなあ。でも、言わないんだよ。僕には言えない。何も言わないで厳しいところへ出ていってしまう。それがいいことなのか、それとも悪いことなのか……

映画撮影の現場とスーツについて:

現場の職人たちは会社の偉い人のことを「スーツ」って呼んでいたんだ。

「スーツを着ている奴は現場の人間じゃない、自分たちの仲間じゃない」って。昼飯でも現場の人間とスーツじゃ、食べる場所が違う。スーツと食べるのが好きな役者もいるんだけど、アンディ・ガルシアなんか、わざわざ俺のところによってきて「健さん、スーツのところで食べないで俺達と一緒にメシを食おう」って誘ってきた。

映画での表現について:

でも、本当に嬉しい、もしくは悲しいと感じたとき、人は「嬉しい」とか「悲しい」なんて言葉を口にするでしょうか。僕はしないと思う。声も出ないんじゃないか……。

すぐれた脚本家は言葉で悲しさを表現するのではなく、設定で表現するんですよ。極端な話、ハーモニカを吹くだけでも悲しさを表現できるし、息遣いを感じさせるだけでもいい。それでも俳優の演技がうまければ、観客に悲しさは伝わります。

高倉健さんの褒め方について:

「『四十七人の刺客』を撮ったときのことです。僕は堀部安兵衛の役でした。浅野家の家臣が街道で荷車を押していたら、敵の刺客とも思える飛脚が近づいてくるシーンがあった。そこにいた侍役の俳優たちはいっせいに身構える演技をするわけです。その際、大石内蔵助を演じていた高倉さんは離れた場所で休憩していたのですが、どうやら、撮影シーンを見守っていたらしい。次にあったとき、ぽつりとおっしゃったのです。『宇崎さん、あのシーンのとき、刀の鯉口を切ってましたね』……」

彼は役者専門の人ではない。しかし、時代劇に出るにあたって、二ヶ月間、居合の道場に通い、刀の抜き方、納め方、武士の所作を学んだ。だから、刺客に備えたシーンで彼は本物の武士のように咄嗟に刀の柄に手をやる、鯉口を切ることができたのだ。

「鯉口を切るなんて動作はフィルムには映りません。それでも高倉さんはちゃんと見ていて、そのことを指摘してくれました。しかも、その意味は僕をほめるというだけではないんです。…あなたが努力していることは必ず誰かが見ている。だから、手を抜かないでみんなでいい映画をつくろうってことを暗示されていたんです。ですから、ほめられたのは僕だけじゃありません。高倉さんは他の役者にもスタッフにも、その人が人知れず努力をしているところをちゃんと見ていて、なおかつほめる。すると作品に関わる全員の士気が高まる」

宇崎竜童さんが高倉健さんについて:

「高倉さんにいただいたものは返せません。返したいけれど返せないほど大きなものをいただいている。できるとすればたったひとつ。私が後輩や新人に高倉さんからもらったものと同じものを渡すこと。その人のいいところを見つけて、大局的にほめてあげること。そんなことを気づかせてくれるのは高倉さんだけです」

高倉健さんの仕事の選び方について:

「餌の獲り方はものすごく大事なんじゃないでしょうか。まずい餌食ってるやつ、まずい餌のとり方をしているやつは、姿も悪くなるし、肉もまずくなる。ハイエナとライオンのように。ライオンは無理でも狼ぐらいになりたいですから。そういうことって人間にも通じるんじゃないですか。みんなそうじゃないでしょうか。俳優だって、汚い餌の獲り方をしているやつはやっぱりだめですよね」


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