Mori Log Academy 7で気になった部分
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Mori Log Academy 7で気になった言葉です:
- 話は変わるが、いつも心がけていることがある。それは、印象は悪いほうが良い、ということ。僕はこれをずっと実践してきた。良い印象を持たれると、後で困る。だから、神経質で気難しくて、何を考えているかわからなくて、オタクで、非常識で、天邪鬼で、というようなことを強調しておいたほうが得だと感じる。
- だいたいそうだが、いろいろやっても、ものぎごとがうまくいかないときは、これまで信用してきた部分を疑ってみる必要がある。
- 一番大事なのはとにかく時間。捻出するわけに行かないから、整理して、削れるものを削る以外にないのである。
- ボールを打ち返すバッタ型の人間が多い、ということだろう。つまり、ピッチャ型が少ない。これは、授業でもそうだし、TV番組などでも感じることだ。みんな、問題が出るのを待ち構えている。リアクションならば得意だ。コメントならば気の利いたことが言える。でも、自分から発するものを持っていない。「質問してね」症候群とでも言うのか。
- 多くの仕事は、問題を解決する能力があればやっていける。この才能のほうが社会では使いやすい。けれど、たとえば、研究職はこのタイプでは物にならない。それから、組織のトップにも立てないだろう。また、あらゆる分野のクリエータも、一流になるためにはオリジナリティの有無が勝敗を分ける。手持ちのネタがゼロであるところから、何を作るのか、何を語るのか、何が問題なのか、何をすべきか、という問いを発することが大切だと思う。
- 余計な努力をしたくない、とみんなが考えているため、組織内では、お互いに自分の負担が少しでも減ることに鎬を削るようになる。組織にとって合理化につながるアイデアを出しても、そのために自分の仕事が増えては困る。改革なんか面倒だ、という方向へみんなが考える。こうして、組織は競争力を失っていくのだ。それでも給料はでるから、特に問題はない、ということか。
- 人間というのは、大勢で力を合わせればたいていのことができる。チームワークを強調して、力をあわせることの美徳を説くものが実に多いけれど、たった一人の人間からこの全てが生まれたのか、という感動の方が、身近で素直なもののように思う。たぶん、子供や若者が感動するのは、そういったものだろう。年齢を重ねるほど、力を合せることの難しさも分かってくる、という図式ではないだろうか。
MORI LOG ACADEMY 7 (ダ・ヴィンチブックス)
森 博嗣 羽海野 チカ
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