『究極の鍛錬』で気になった部分
人は何が起こったか明確に理解できると、次は前よりうまくやろうと熱心になるという点だ。…「誰もが何が起き、何が起きなかったのか、そしてそれはどうしてなのかがわかるだけでなく、より重要なこととしてその任務を再び練習する機会を得たいという強い願望を持つようになる。
今や経済的価値は右脳の持つ力から創造される。具体的には、創造力、想像力、共感形成能力、審美能力といった右脳の生み出す能力だ。
作曲を初めて最初の十年やそこらの間は、こうした傑作も外部の人間が注目するものはほとんど一切何も生み出してはいなかった。ヘイズ教授は、この長くどうしても必要になってしまう期間を「十年の沈黙」と名づけている。
ここに明らかな究極の鍛錬の要素を見て取ることができる。その要素とは、自分が選んだ分野で達人になろうと大きな投資を行うこと、より熟達した指導者を求めること、学びのなくなってしまうコンフォートゾーンを抜け出すために自分を常に追い込むこと、常に自己の限界に挑戦することである。
もっとも傑出したクリエーターはいずれも自分が選んだ専門分野で全身全霊仕事に打ち込み、自分の人生を捧げ、膨大な知識を蓄積し、常に自分自身をその領域の最先端に置くよう努力した者たちだ。
「ひらめきなんていう考えは、物事は実際より簡単だと皆信じたがっている人達が住む、夢想家の桃源郷に過ぎない。」
誰もが何をすればよいかわかっていたときは、みな簡単に行動することができた。リードされる必要は全くなかった。しかし、どうしたらいいのか理解できていないときは、単にうまく歌えと言われただけでも行動が起こせず凍りついてしまう。
考え抜かれた訓練を十分に実行すると、通常回避できない自分の能力の限界を超えることができるようになる。この限界を超える能力こそ、達人が恒例でも高い能力を維持するカギとなる。
究極の鍛錬では心地よい領域から継続的に自分を追い出さなければならない。鍛錬はつらく、日に何時間も何年も続けなければならない。では、誰がいったいこんなつらいことをやろうとするのか。両親は子供に訓練を強いることができるだろう。しかし、「偉大な業績」をあげるためには、強制してはいけない。強制では集中して徹底的に鍛錬を継続させることができないからだ。
- 作者: ジョフ・コルヴァン,米田隆
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