大学院というシステムの疲労
Contents
その上、院生の増加と国立大学を中心とする法人化のもとで、大学院生の就職競争ばかりではなく、教員の雑務の増加と通常の教育研究予算の度を越えた削減によって、大学の教育研究環境の劣悪化が加わっていますので、ただでさえ折れやすい若者たちが追い詰められやすい環境になっていることは否定できません。
そんな環境の中で、研究室や講座を単位とする大学院生の教育システムは、たとえ書類上・教育カリキュラム上で改革されていたとしても、実体は昔とほとんど変わりのない、一人の先生と大学院生がペアになって、修士研究、博士研究を遂行し、学位を取るということが(おそらく、日本中のほとんどのところで)昔と同じように続いているのだと思います。
このシステムは、ある程度教育研究費が保証され、教員にもゆとりがあって、すべての大学院生一人一人とじっくりと時間をかけてつきあえる状態であるならば、それほど悪いシステムではなかったのかもしれませんが、金も時間もないところへ大学院生の数が増えているのですから、ある意味でよほどの鈍感な学生と教員でなければやっていられない場所になっているとも言えます。
「よほどの鈍感な学生と教員」というのは言い過ぎかもしれないけれど、一面の真実をついてはいると思う。
おそらくイギリスに留学した先輩がイギリスを選んだのも、ゆとりがあるからなんだろうと思う。