裏方の美学
id:higeponさんの記事にこんな事が書いてあった:
彼の生歌を聴いて「黄昏流星群 (4) 」の「星のレストラン」に出てきた台詞を思い出す。
「私が何のためにキミの料理にあれこれ言ったか分かるか?」
「世の中に料理人はゴマンといるが、本当に好きで望んで料理の道に入った者と、他にやることがないから何となく料理人になってしまった者の二種類がある。」
「しかし、それで生活をしている以上、世間はどちらも“プロ”と呼ぶ。同じプロでも前者と後者は全別モノだ。作る料理の“格”が違う。」
彼の歌はまさに “格” が違った。本気で取り組んでなさそうな一部の出演者の演奏が本当に残念なくらいに。
これを読んでいて、そういえばこの前行ったミュージカルのパンフレットに次のようなことが書かれていたのを思い出した:
若い頃、巨匠と呼ばれる監督の映画に出演したことがある。1シーンのみ、エキストラのような役だったが、巨匠の現場を体験しておきたかった。二日間招集された。初日、衣装合わせと聞いてスタジオに向かった。助監督らしき男性が三人打ち合わせをしていた。声をかけようとすると一人が立ち上がった。「おはようございます。大竹さん、こちらです」驚いた。面識はない。その日招集された役者だけで100人を超える。衣装と餅道具が決まった。カバンと帽子だ。撮影当日、衣装を着てスタジオセットに入った。リハーサルが始まる。小道具置き場へ向かった。持ち道具がズラリと並ぶ。自分の名前を探す。担当さんがやってきた。「大竹さんは、こちらですね」カバンと帽子を差し出された。「あ、・・・ありがとうございます・・・。」プライドとはこういうものだと思った。お高くとまることではない。その名に恥じない仕事をしようという意識のことだ。このことが映画の画面にどう影響しているかわからない。まして観客は知るよしもない。もはやゼニカネの問題ではない。裏方の美学のようなものを感じた。(演出 大竹 竜二)
プライドとか、譲れない何かを大事にしていきたいですよね。