『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2009年 2/19号 [雑誌]』よりオシムのインタビュー記事

Contents

「たしかに私は、選手が自分自身で考えるのが好きだ。私と同じように考えるのを強いるのではなく、彼らが自らなぜなのかと自問する。熟考して答えを導き出す。彼らにそうしてほしいから、私はあのようなトレーニングを行っている。それぞれのセッションで違ったテーマを設け、彼らが自分自身でどうすべきかを考えられるようにする。戦術的なことも、私ではなく選手たちが問題を解決する。」

「走りながら、素早く考える。時間を無駄にして、つまらないミスを犯さないために。個人の自意識のせいで、チームの仕事を台無しにしないために。優先すべきはコレクティブ(組織的)で、個はそこから先のプラスアルファだ。個人の判断も、まずはコレクティブなものであるべきだ。」

「強いチームに対しても、自分たちがどれだけの力を出せるかを示す。マンUのような相手と戦う機会を得るだけでも大きなチャンスだから、そこで何かを誇示したいと思うのは当然のことだ。ガンバはマンUを自由にプレーさせなかった。マンUは5点を上げたがガンバも3点を決めた。しかも流れの中で、自分たちのプレーをしながら。それが希望を与える。マンUも決めるべきゴールを決めたが、それは1対1の戦いに勝って、ヘディングで決めた得点などだ。満足はむしろガンバの側にある。」

「もちろん扉を開く役割は必要だ。しかし選手が野心を抱けば、私は彼らに私の目を貸すことができる。彼らが私の目でサッカーを見るようになれば、つまり選手が監督と同じ考えでプレーし、同じ野心を持つようになれば、それは大きな成功だ。そのためには彼らを覚醒させ、何が可能であるかを例として見せなければならない。世界には見本があふれているのだから。」

オシムからは、サッカーについて考えることを学んだ。何が正しいのか。他人をコピーするのではなく、何が大事かを考えることだ。コーチはひとりひとり違う。コピーをしても、決して本物にはなれないからね。

「選手はどちらかといえば官僚的だ。いい生活をしてさらにいい収入を得たい。仕事を失いたくはない。だがそのためには、今よりもっと走らねばならないし、リスクを冒さねばならない。さらなるディシプリンも求められる。そしてそれらは、私生活を犠牲にしなければならないこともある。ところが官僚的なメンタリティを身につけてしまうと、仕事の仕方も官僚的になる。ノルマ以上のことはせず、定時には退社する。今の生活を守ることばかりを考える。だがサッカーでは、さらに一歩を踏み出すこと、さらなる努力をすることが求められる。特に精神的にそうだ」

ガンバについて語っている部分が特にすき。