『数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)』で気になった部分

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数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)』を読んでいました。このシリーズが好きなのは、本当に数学が好きな人が数学の魅力を語っているのだなとわかるところ。私は残念ながら数学のことはよくわかっていないが、その奥の深さとか魅力はとても伝わってくる。何かをとても好きな人が、その好きなことを伝えているというのがよく伝わってくるんだ。そして、その好きなことを伝えるときはとてもやさしく、元気づけてくれる。たとえばこんな台詞がある:

「ユーリは馬鹿じゃないよ。わからないことを <<わからない>>というのは正しいことだ。馬鹿なのは、わかっていないのに<<わかったふり>>をする人の方だよ」

「まず考えてみなさい」とミルカさんは言った。「わかるかどうか、考えてみなければわからないでしょう。<<楕円曲線>>や<<アーベル群>>という言葉の難しさにおびえてはだめ。この言葉は何百年もあなたを待っていた。すぐに理解できなくても怖じ気づいちゃだめ。正面からまっすぐ立ち向かいなさい」

こういう台詞がすてきだと思う。こうした台詞がすんなり言えるようになりたい。

それ以外に気に入っている点は、数学の泥臭くて、人を引きつけてやまないところをきちんと語ってくれている点。ちょっと長いんだけど、

数学は、どっしりと存在している…と僕は思っていた。できあがった数学は確かにそうかもしれないけれど、できあがるまでの数学はきっと違う。

数式を書けば、数式を書けば、数式が残る。途中でやめれば、書きかけの数式しか残らない。当たり前のことだ。

でも、教科書には、書きかけの数式なんて載っていない。建築現場から、すでに足場が片付けられている。だから、数学と言えばつい、整然と完成したイメージを持ってしまう。でも実は、数学が生み出されている最前線は、工事現場のようにごちゃごちゃしているのではないだろうか。

数学を見つけ出し、作り出してきたのはあくまで人間だ。欠けがあり、ふるえて揺れる心を抱えた人間だ。美しい構造に憧れ、永遠に思いを寄せ、無限を何とか捕まえたいと思う人間が、数学を現在まで育てた。

受け取るだけの数学じゃない。自分から作り出す数学だ。小さな水晶のかけらから、大きな伽藍を築いていく数学。何もない空間に公理を置き、公理から定理を導き、定理からさらに別の定理を導いていく数学。ひとつぶの種から、宇宙を組み立てていく数学。

最前線はごちゃごちゃしているし、でもそのごちゃごちゃしたものの中から何か構造を見つけ出そうとする…こんなことがsexyなんだよ。つまらないことをsexyと言い張る人が多いけど、でも本当はそうじゃない。磨かれた大理石みたいなことを並び立てるのは、みんなが通ってきた道をなぞっているだけ。sexyなのは自分が進んだ後に轍ができることじゃないかなと思う。

この本は、読んでいて好きなものに取り組みたくなるような…そんな本だと思う。

数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)

数学ガール フェルマーの最終定理 (数学ガールシリーズ 2)