「絵の力 – 延長された顔」のサマリー

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 横浜美術館で開かれた茂木健一郎の講演会を聴いてきました。生で見たのは初めてです。やっぱり圧倒的な存在感を放っていました。同期を誘っていったのですが、同期に「誘ってくれてありがとう」と感謝されました。いい講演でした。

 私が理解した範囲で講演のサマリーをします。私なりに一貫させようとして講演の内容をまとめているので、時系列的にはまとめていないことに注意。

*: こういうまとめを掲載されては困るという場合には、コメント欄でお知らせください。この記事を削除させていただきます(__)

イントロ: 問題意識の提示

 主なトピックは以下:

  • Artについて考えることはクオリア研究に重要なこと
  • 日本の閉塞感の原因は優しいことしかチャレンジしない風潮にある
  • これからはハイカルチャー*1を輸出していくべきだ
  • 私もこれからはできるだけ英語で発信していくつもり

この冒頭の部分では後の本題と関わる問題意識の提示がされた。後になって話の筋をつなげていくと分かるのだが、「顔」というのは

  1. 生身のあるがままの事実としての「顔」
  2. 自分のイメージとして修正・誇張などを経た「顔」

の二つがあって、現在は一番目ではなく二番目の表面的な「顔」がもてはやされている時代というようにして話が繋がっていった。二番目の「顔」があるがままの事実としてある「顔」を隠蔽することに強い危機意識を持っていた。そして絵画に描かれる顔には、私たちが直面しなければいけない事実が描かれているというようなことを述べていた。そうした絵画に描かれる「顔」を現代日本の状況と重ね合わせて講演なさっていた。

顔とは何か?

  • 自己のイメージとなるもの
  • 人間だけが自分の顔を自己と一致させて考えている
  • このことは人間だけが自分が死ぬことを意識していることと強い関連がある
    • 自分たちがいつか死ぬということを隠されている社会に我々は生きている*2が、私たちはみな必ず死ぬ。
    • 生身の真実を見つめることで生まれる認識がある*3
  • これと同じように自分の顔の存在を知ってしまったことは、人類にとっては毒のようなもの(=ありのままの真実を直視せずに、我々は自己のイメージを編集してしまう)

絵画とは何か?

  • 画家が見た世界(=ありのままの真実)を切り出したもの*4
  • 写真や映像などよりも、絵画がより真実を伝える

結論みたいなもの

  • 生身の真実を受け止めることは難しいが、それが人間が人間らしく生きるということに繋がる
  • 我々は「顔」という「ありのままの真実」と「編集されたイメージ」との二つを共存させる筋道を模索している段階にある
  • ありのままの自分を受け止めることは不安なこと*5
    • こういう不安を受け止めることこそが若さのしるし!
  • 一度徹底的に負けることがありのままの事実を受け止めることになる。そして負けるには戦う必要がある。

感想

 「絵画における顔」を通して日本の文明批判をしていた。乱暴かもしれないけれど、「ありのままの真実を直視し、それでも戦っていけ。俺もそうしていくつもりだ」みたいな熱いメッセージが込められていたいい発表でした。なんていうかユーモア混じりだったけど、人を行動に駆り立てずにはいられないような、そんな provocative な講演でした。

*1:いわゆる "Culture with a capital C" というやつ

*2:この部分がイントロの優しいことしかチャレンジしない風潮と重なっているのかな?

*3:ここら辺はあまりふれていなかったけれど、ブッダとかそこらへんの人を念頭に置いているのかな?

*4:ここから絵画の中の「顔」がありのままの真実を端的に表現している、ということになるのだろう

*5:でも、そういった不安を日本では避けようという風潮がある…と言いたいようだった