映画・『シルク』

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 昨日、観てきました。めざましテレビで芦名星を特集していたときにこの映画を紹介していた。せりふがなく、所作だけで魅惑的な日本女性を演じきっているとのこと。この点に惹かれて映画を観に行った。

以下、ネタばれになってるかもなので注意。

映画「シルク」公式サイト

原作の作者は『海の上のピアニスト』も書いてる人だった

 いや、『海の上のピアニスト』は傑作でしょう。

これ delayed decoding じゃん!

 delayed decodingという専門用語があります。要は、「物語の後になってわかることがそれまで描かれてきたものの解釈を決定的に変えてしまうような仕組み」のことです。映画『シルク』は一見、ラスト・サムライのように魅惑的な東洋に魅せられ、人生が変わってしまった西洋人を主役にした映画なのだとラストまで思いこまされていました。しかも、そのような映画だと捉えても、非常に良くできた映画なのです。しかし、ラストに明かされる情報によって、物語の中盤以降の解釈が完全に変わってしまいました。この映画が言いたいのは「東洋の女性によって人生が変わってしまった男の人生」なんかじゃなく、「夫が東洋の女性を慕っていることに気づいてしまった。子供を産むことで夫を振り向かせようとするけれど、どうやら自分は子供が産めない体のようだ。そしてどうしても東洋の女性に敗北を認めたまま死んでいかなければならない…そんな妻の人生」についてだったのだ。

 こうした解釈の転覆が一瞬にして起こってしまう。そのことに一人一人の観客が気づく瞬間がこの映画が一番盛り上がる瞬間だ。そしてそれがいつなのかは、個々の観客によって異なる。この観客が気づく一瞬に向けて、すべてが用意周到に準備されていた。この映画は完全に芸術だと思った。そこらのハリウッド映画なんか目じゃない。すごいわ。本当に。

能動的に考える人へ

 この映画は受動的に映画を観るような人にとっては、何が行われているのかがわからないと思われてしまうような映画だ。ちょっと前の映画だと、『英雄 ~HERO~ スペシャルエディション [DVD]』みたいなもので。こいつも語りの場が前面に押し出されていて、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれる映画だった。何が行われているのかを自分で判断でき、そしてその判断が間違えていないとわかる人しか観客と認めていないようなところがある。映画・『シルク』も同じように、能動的に反応する観客に向けてつくられている。現在のシーンがどのような場面であるのかを示すようなわかりやすい指標が観客に与えられることはあまりない。その淡々とした描写に意味を見いだすような人にこそこの映画はお勧め。

参考になるの

Silk: A Story of War

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絹