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Kazuhiro MUSASHI

Opinions are my own.

UNIX Philosophyメモ

UNIXという考え方―その設計思想と哲学でまとめられていた、UNIXのphilosphyです。メモするだけ。 Small is Beautiful.: 小さいものは、大きいものにはない利点がいくつもある。小さいもの同士なら、簡単に独特の便利な方法で組み合わせることができるというのもその一つだ。 Make each program do one thing well.: 一つのことに集中することで、プログラムに不要な部分をなくせる。不要な部分があると、実行速度が遅くなり、不必要に複雑になり、融通が利かなくなる。 Build a prototype as soon as possible.: あらゆるプロジェクトにおいて、試作は重要だ。一般的に試作は設計全体のうちのほんの一部として扱われているが、UNIXにおいての試作は、効率的な設計には欠かせない重要な一部だ。 Choose portability over efficiency.: UNIXが移植可能なオペレーティングシステムという新境地を開拓したとき、これはすごいニュースだった。現代のソフトウェア設計では、プログラムに移植性があることは当たり前のこととして捉えられている。これは、UNIXの考え方のうち、ほかのシステムにも広く受け入れられている一つの例だ。 Store numerical data in flat ASCII files.: 移植性のあるプログラムは重要だ。しかし、移植性のあるデータも移植性のあるプログラムに勝るとも劣らず重要だ。従来の移植性に関する議論では、データの移植性という視点がいつも無視されてきた。 Use software leverage to your advantage.: 再利用可能なモジュールの重要性について、たいていのプログラマは表面的にしかわかっていない。プログラムの再利用は、ソフトウェアのてこを最大限に活用した強力な考えだ。UNIXの開発者たちは、この考え方に従って、非常に多くのアプリケーションを比較的短期間に開発してきた。 Use shell scripts to increase leverage and portability.: シェルスクリプトは、ソフトウェアのてこを生かすと同時に移植性も高めるという二つの効果がある。可能なときは常に、C言語ではなくシェルスクリプトを使うべきだ。 Avoid captive user interface.

『ローマ人の物語 2』

『ローマ人の物語 2』で気になった部分です。文庫版の『ローマ人の物語』は1・2がセットで王政の時代の古代ローマを取り上げています。そして統治システムが王政から共和制へと変わる過渡期を主に扱っています。『ローマ人の物語』についての一般的な説明は左のイメージをクリックしてWikipedia(Japan)に飛んでください。 [memo] 衰退期に入った国を訪れ、そこに示される欠陥を反面教師とするのは、誰にでも出来ることである。だが、絶頂期にある国を観察して、その国のまねをしないのは、常人の技ではない。大学生の卒業旅行ではないのである。実務の経験も豊かで年齢も十分な、元老員議員三人が視察したのだ。紀元前五世紀半ばというこの時点でのギリシアとの接触は、これらのローマ人に、模倣とは別の何かを考えさせたのではなかったか。 [memo] それに、私には、まねしなかったということが影響を受けなかったことにはならない、という思いがあるからだ。模倣しなかったと言うことも、立派に影響を受けたことになるのではないか。それも、観察し洞察する力のない人間が視察したのならいざ知らず、ローマ視察団の三人は、この前後の業績から観ても一級の人物が選抜されていたのは確かだった。 [memo] 人類はしばしば、先見性に富む人物を生んできた。彼には先が見えるから、現在何をなすべきかがよくわかる。しかし、認識しただけならば、先見性を持った知識人、で終わってしまう。見栄、理解したことを実行に移すには、権力が必要だ。マキアヴェッリも、「武器を持たない予言者は自滅する」と言っている。トロイの王女カッサンドラは、ギリシア勢によるトロイの滅亡を予言し、それを防ぐための対策をトロイ人に説いたが、誰からも相手にされなかった。ヨーロッパでは今でも、説得さえすれば聞き入れられると信じている人を、「カッサンドラ」と呼ぶ。 [memo] それで、権力の獲得が先決問題になってくるのだが、どうやって権力を築くかにはその時代の流れがどの方向に、しかも大波になって向かっているかを察知する能力が求められてくる。大波が民衆ならば、彼は民衆派の頭目になり、民主制が壁に突き当たった時代に出会えば、彼は寡頭政のリーダーになるという具合だ。民衆が好きだから民衆派になるのではないところが、新派であれば十分な手足と、その手足を駆使しなければならないリーダーの違いである。権力は彼らにとって、目的ではなくて手段である。ただし、必要不可欠な手段ではあった。 [memo] ローマ人には、敗北から必ず何かを学び、それを元に既成の概念にとらわれないやり方によって自分自身を改良し、そのことによって再び起ちあがる性向があった。敗けっぷりが、良かったからではない。敗けっぷりに、良いも悪いもなく。敗北は敗北であるだけだ。重要なのは、その敗北からどのようにして起ちあがったか、である。つまり、敗戦処理をどのようなやり方でしたのか、である。 [memo] 人間世界では、はじめから遠い将来まで見透かし、それに基づいていわゆる百年の計をたて、その計を実行に移せる人間は多くはない。少ないから、天才なのだ。天才以外の人間は、眼前の課題解決だけを考えて方策を立てる。だが、ここから進路は二つに分かれる、眼前の課題の解決のみを考えて立てた方策を実行したら、結果としてそれが百年の計になっていたという人と、眼前の課題は解決できたが、それは一時的な問題解決に過ぎなかった、という人の二種類だ。後者の偶然は偶然でとどまるが、前者の偶然は必然になる。歴史上の偶然が歴史的必然に変わるのは、それ故に人間の所行によってである。後世から見れば歴史的必然と見えることのほとんどは、当時では偶然に過ぎなかったのだ。その偶然を必然に変えたのは、多くの場合人間である。ゆえに、歴史上の主人公は、あくまでも人間なのである。 ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下)    新潮文庫

ローマ人の物語 1より

現在読んでいる『ローマ人の物語 1』から気になった部分を抜き出してみました。 [memo] しかし、阿呆呼ばわりされても王の甥ならば、権力の近くにあって、すべてを冷静に観察する機会に恵まれていたに違いない。情報も豊富であったろう。その彼だからこそ、もはやローマは、効率的ではあっても王になる個人の意向に左右されないではすまない制度は、捨てても良いまでに成長したと判断できたのではないか。改革の主導者とはしばしば、新興の勢力よりも旧勢力の中から生まれるものである。 [memo] 戦争は、それがどう遂行され戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、当事者である民族の性格が実によくわかるように出来ている。歴史叙述に戦争の描写が多いのは、人類が相も変わらず戦争という悪から足を洗えないでいるからと言うよりも、戦争が、歴史叙述の、言ってみれば人間叙述の、格好な素材であるからだ。 [memo] 知力では、ギリシア人に劣り、体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人であると[…]ローマ人自らが認めていた。それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大をなすことが出来たのか。一代分名犬を築き上げ、それを長期にわたって維持することが出来たのか。[…]あなたも考えて欲しい。「なぜ、ローマ人だけが」と。 ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫

これが高倉健という男である

高倉健が書いたエッセー『旅の途中で』を読みました。高倉健というと俳優というイメージが強いのですが、これを読んで判断する限りエッセイストとしても一流だと思います。 とりあえず印象に残った部分は次の部分: 「ただ毎日毎日、一ミリでも進んでいけば、ジャンプなんかしなくてもいい。誰も助けてくれないなら、自分で一歩一歩進むしかないんですから。人生には苦しいこともあるし、嘘と言いたくなるほど辛いこともある。でも、神様は絶対に無理な宿題は出さない。その人に与えられた宿題はその人自身がクリアできるものなんです。乗り越えようなんて思わなくても、一歩ずつ進んでいけば、いつの間にか乗り越えてしまっている。その時、初めて自分に自信が持てるんだと思います」 とはいえ 嫌々ながら仕事をしているのではない 好きとか嫌いとかを尺度にして 仕事をするのではなく やるかやらないかを 問題にするのであって やると決め 引き受けたからには 持てる力を 惜しげもなくつぎ込み 奮闘する 仕事だから 仕事らしい仕事を やってのけようとする それは 観客のためではなく 自分自身のためにすることなのだ 受けるとか 受けないとかは もちろん気になることだが 最終的には 知ったことではない の一言で蹴飛ばしてしまう 必要に応じて 必要な動きができる男が 減ってきている どうということもないのに 大袈裟に騒ぎ立てる男は うじゃうじゃいる そんなに動かなくてもいいのに 派手に動き回る男が 増えている そんな男に限って 本当に動かなくてはならないときに コソコソと逃げてしまう 格好だけで良いのだ 中身なんてどうでもいいのだ 外側しか見えないさ と彼らは 居直る だが そうではない 人間の中身は ハッキリとスクリーンに映し出されるものだ たとえば 分厚い皮下脂肪のようなカタチで 彼は 必要に応じて 必要な動きができる スクリーンの上だけではなく 私生活でも 三年前にやれなかったことが 今は簡単にやってのけられる そんな男は少ない 流れに身を任せることを知っていて 時には流されもするが しかしそれでも 頭は常に上流に向けられ 両手は のべつ水を掻き 両足は しょっちゅう水を蹴っている つまり エネルギーの配分を冷静に計算しながら 少しでも 前進しようと狙っている 彼は決して遅れない 一番上は高倉健が印象に残ったとして引用している文章です。した三つは、「それが高倉健という男ではないのか」という丸山健二が書いたものを高倉健が引用していて、そこから孫引きしました。 旅の途中で (新潮文庫)

敗者とは負けるのが悪いことだと思っている人である

気になった文句があったので、コピペ:     敗者とは、負けるのが悪いことだと思っている人だ。彼らは余裕がないので負けられない。そして、どんな犠牲を払っても、負けるのを避けようとする。負ける人の多くは確かなものにしか賭けない。たとえば、仕事による安定とか、固定給とか、保証された年金とか、銀行預金に対する利子といったものだ。敗者が負け続け、勝者が勝ち続ける理由は単純だ。敗北が勝利の一部であることを勝者が知っているからだ。         金持ち父さんの若くして豊かに引退する方法