英文学

ドイツ人の先生が講演してたので覗いてきた

  • POST
この前の発表で遊びに来ていたドイツ文学の先生に誘われて、ドイツ人の哲学の先生の講演会を聴きに行ってきた。ドイツ語がわからないことに愕然としながら、日本語のハンドアウトと解説を頼りに理解する。 どうやら 哲学という西欧特有の学問体系の限界が19世紀を境にわかってきた。キーワードは歴史主義。哲学は西欧という歴史的風土で形成されてきたものである。 また、哲学は西欧という文化的風土の下で形成されてきたものでもある。 このことから、哲学は歴史・文化の強い影響下にあることが明らかになってきている。そうした西欧という歴史的・文化的風土に特有なことを私たちは意識すべきであり、新しい哲学を模索すべきである。その際のキーワードはinter-culturalityだ。 こんな感じのことを言っていた。ドイツ語による質疑応答が応酬され、自分は完全アウェーの雰囲気の中、司会の人が英語でも質問大丈夫と言ったので、質問。「ヴィトゲンシュタインの言語ゲームとどのような関係があるのか?」と質問をした。哲学が歴史的・文化的構築物であるのと同様に、言語も歴史的・文化的構築物なのだから、先生の考えと言語ゲームの間には類似性があるから、その類似についてどう考えているのかを質問。なんかいい質問だったらしい。反応が良かった。

大学院でのゼミが終わった

  • POST
今日で某I準教授のゼミが終わる。最後の回で発表したM1の子の一人がようやくI准教授を高みから引きずり落とすことに成功した。これまでは学部生の延長線上として扱われていたのが、同じ土俵で戦う仲間として扱われていた。4月に入学したM1の子の中で、同じ土俵に引きずり落とせたのは結局この一人だけだ。 うでも、本人はそのことに気づいていない。なんか知らないけれど、手厳しくいちいち間違いを指摘されているようにしか思えないようだ。周囲の人が指摘されていないところにまでいちいち指摘が及ぶ。自分も経験あるけど、はっきり言ってやられている方からするとイヤなんだよなー。 それでもやっぱり旧帝大の准教授をやっている人のゼミでM1ごときがなんか言っても全否定されるのが当たり前なわけであって、健全な状態である。むしろ何も言われないことの方がおかしい。そんじょそこらの積み重ねで旧帝大の准教授になれるわけがないのだ。そこら辺の当たり前の事実に気づいてくれると良いな。できるだけのフォローはするけど。 ちなみにカエサルはこんなこと言ってます: 天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることの出来る人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に気づく人のことである。 彼には「天才」になってほしいかも。 どうでもいいけど、なぜか自分はM1の最初から発表は全否定、何かコメントすればすべて論破されるという茨の道を歩いてきた。いや、ありえなさすぎるでしょう。。。よくぐれずにここまで来たなー。まぁ、最近は成長したので「いかにして黙らせ、認めさせるか」に意識を集中しているのですが。

『トリストラム・シャンディ』

  • POST
来年の大学院でのゼミはThe Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman: The Florida Edition (Penguin Classics)になるらしい。卒論提出を祝う飲み会の席で某I准教授が院生をパニックに陥れていた。心暖まるWikipediaの解説をご覧ください: 一見、内容は、荒唐無稽、奇抜そのものであり、例えば、一貫したストーリーは欠如していて、牧師の死を悼む真っ黒に塗り潰されたページ、読者の想像のままに描いてほしいと用意された白紙のページ、タイトルだけが記された章、自分の思考を表す marble pages と呼ばれる墨流し絵のようなページ等、読者をからかうがごとき意匠に満ちている。アスタリスクやダッシュの多用、さらに、この作品の話の進行状況を曲線で表す等、まさしく奇抜な形態をほしいままにしている。 トリストラム・シャンディ – Wikipedia 一見、内容は、荒唐無稽、奇抜そのものであり、例えば、一貫したストーリーは欠如していて、牧師の死を悼む真っ黒に塗り潰されたページ、読者の想像のままに描いてほしいと用意された白紙のページ、タイトルだけが記された章、自分の思考を表す marble pages と呼ばれる墨流し絵のようなページ等、読者をからかうがごとき意匠に満ちている。アスタリスクやダッシュの多用、さらに、この作品の話の進行状況を曲線で表す等、まさしく奇抜な形態をほしいままにしている。 トリストラム・シャンディ – Wikipedia まともな小説であれば守るべき語り方のルールを片っ端から破り、ありがちな小説の形式を徹底的に破壊することによって小説というものが本来備えている形式を自覚させる、すなわち掟破りによって掟を自覚させる トリストラム・シャンディ – Wikipedia ヨーロッパ近代小説の勃興期である18世紀に書かれた作品であるにもかかわらず、語り手トリストラムが読者たちと対話するなどメタフィクション的な仕掛けに富み、古今の文献から断片的な引用をつなぎ合わせてマニア的な知識をひけらかすところはポストモダン文学を思わせる。 トリストラム・シャンディ – Wikipedia かなり長大な物語を一年かけて読むそうです。合掌。 The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman: The Florida Edition (Penguin Classics) 作者: Laurence Sterne,Joan New,Melvyn New 出版社/メーカー: Penguin Classics 発売日: 2003/05/27 メディア: ペーパーバック この商品を含むブログ (4件) を見る

小説で英文学をやる人は

  • POST
本の整理をしていたらReading Novelsがでてきた。こいつは同学年だけどかなり年上の先輩に教えてもらった本。うちのボスもかつて教えてもらっていた先生が「小説の中にある本文からどのような情報を読み解くことができるのか?」ということを解説している。 こいつの効用は、「小説を読むときに一般的にどのようなことが問題とされるのか?」そして「本文から上限としてどの程度の情報まで引き出してもかまわないと一般的に考えられているのか」ということが網羅的に解説されているということにあるのだと思う。読む際に興味関心が引かれるべきポイント、とっかかりのような「お約束」的なものの確認に使える。様々な読みの視点確認用の本ですな。 こいつで読み方を確認したら、後は批評理論の概説書を2~3冊読むことで、おおざっぱな英文学における小説批評の見取り図は頭の中に入ると思う。後は先行研究にあったたり、英語の読解力・速読力を磨いたりすべし。 当たり前だけど、先行研究と自分の考えの違いが説明できていないような論文は、読む側からすれば時間の無駄以外の何者でもないことを常に意識すべし。*1 Reading Novels 作者: George Hughes 出版社/メーカー: Vanderbilt Univ Pr 発売日: 2002/05 メディア: ペーパーバック この商品を含むブログ (2件) を見る *1:現在「批評的に重要と考えられている書物」の批評的手法は、批評家から見ればすでに「ダサイ」・「やり尽くされた」・「つまらない」と思われているからね。当たり前だけど。既存の方法と同じような方法論を用いるときは、既存の方法とあなたがやろうとしていることがどう違うのかを説明し、あなたの考えを defend する義務が あなた にあるのであって 読者 にはない。そこら辺を勘違いしてはき違えないように。ここが参考になる: 「転載、引用、盗用 区別のつかない人が意外に多い – 最終防衛ライン2」