Numberを読んでいて気になった言葉です:

では、希望は、どこからやってくるのか。希望学では、未来の希望を語り、希望にむかって進む人々の多くが、実は過去に壮絶な修羅場や挫折を経験していた。人は挫折をくぐり抜けて進む。その先で出会うのが希望だ。挫折は希望の母なのだ。

私たちの日常とは、敗北の連続である。仕事なんてうまくいくほうが珍しい。勉強や部活だって、一番にはまずなれない。そんな敗北になれてしまいそうな私たちにとって、選手たちは、敗北を恐れず、戦い続けるからこそ、ヒーロー・ヒロインなのだ。

希望に「棚からぼたもち」ということはない。自分から動いてもがいて、ぶちあたる。それが希望だ。

言葉には”背景”がある。いつ、どこで、誰が、など言葉の前提となる事柄は”背景”として言葉の在り方に強い影響を与える。 (水野良樹)

ありきたりな言葉が、ありきたりではない輝きを放つ瞬間がある。その人のその人しか持たぬ生き様を”背景”とした言葉の比類なき輝きはいつも、物書きには酷な程、眩しい。 (水野良樹)

談志は常々、「やらない奴はどんなにやれと言ってもやらない。やる奴はやるなと押さえつけてもやる」と言っていた。そして、談志は弟子を育てる名人とも言われた。何故まともに稽古をつけないのに弟子が育ったか。それは談志が己の生き様をみせつけていたからだ。落語と格闘し、もがき苦しむ姿をさらし続けていた。談志の言う「やる弟子」は師匠の背中を追いかけて同じように格闘した。ただ「やらない弟子」は、やらないわけだし、師匠の生き様も見ない。だから平均点以下の落語家になってしまった。でも平均的な落語家を多く出すより、出来損いがたくさん出ようが、飛び抜けた落語家を数人誕生させたことがどれだけ落語界のためになったか。 (立川志らく)